みなさまはお気に入りの文房具ってありますか・・・?
 
 
私のお気に入りは、PILOT社の「アクロインキ」というボールペンです。正確に言えば、「アクロインキ」の芯がお気に入りで、替え芯をずっと愛用しています。このペンの特徴は、インクがスルスルと滑らかに出るところで、そうかといって出過ぎることもなく、文字を早く書きたいときには特に重宝しています。例えば、ふと思いついたアイデアや感情を忘れぬうちに文字にしたい時、こういう書き味が手放せないのです。

このように、文字をバババッと早く書きたい時に欲しい書き味もあれば、反対に、ゆっくりと書きたい時に欲しい書き味もあります。
 
 
 
ゆっくりと文字を書きたい時には、万年筆やガラスペンがおすすめです。万年筆は、金属製のペン先がインクを滑らせながら、サラサラと紙をなぞるような感触が楽しいです。文字を書いてペン先と紙が擦れる少し低い音が、ノートの紙面全体に広がり、静かで落ち着いた心地よさを感じさせます。また、万年筆と構造は近いけれど書き味が異なる文具に、ガラスペンがあります。ガラスペンの楽しさは、細く尖ったペン先と紙とが擦れて生じる細かな振動が、指先に伝わってくる感触です。この時に鳴るカリカリとした音は万年筆よりも高く、ガラス特有の音と振動が指先に心地よい刺激を与えます。

それぞれに独自の書き味があって、どれも魅力的です。こうしたアナログな書き味の楽しさは、指先の感触だけでなく、視覚や音といった感覚全体で味わえるのも大きな魅力です。
 
 
 
そうは言っても、世の中にこれだけの多種多様な文具が存在するのは、なんだか不思議な気もします。というのも、もしも1つ1つの文字が(口頭のコミュニケーションや絵画とは異なり)一意の情報を表している記号なのであれば、文字を起こす手段は、その時代の最も優れた1つのツールに収束しそうな気もします。文字を書く目的が、文字自体にはニュアンスを含まない記号を表現することなのであれば、記号に対応する最も効率的な入力装置が、テクノロジーによって作られる気もします。なぜ文字を書くための手段が、これだけたくさんあるのでしょうか。

おそらく1つの理由は、人が文字を書くこと自体に、体験としての面白さを感じているからではないでしょうか。お気に入りのペンで誰かに手紙を書いている時間は、もちろん文章の内容を考える楽しさもあります。しかしそれと同時に、ペンで文字を綴っていること自体の、体験そのものの楽しさを感じます。文字を書いているときの音や感触を味わったり、書き進めるにつれてインクに染まっていく紙を見ることは、書き手を没頭させたり楽しい気持ちにさせてくれます。

記号と体験は、一見すると、相反するように思えます。記号は概念的な世界のものである一方で、体験は(ペンで文字を書くような物理的な体験は)実体的な世界のものです。
 
 
 
しかし、記号と体験は対立するものではなく、体験の面白さがあるからこそ、記号を組み合わせて考える結果を生み出しています。文字の書き味が楽しいものだったら、記号を組み合わせて意味を探しにいきたいという気持ちは高まります。そして、多様な人が見つける多様な楽しさが、全ての人に共通するたった1つの楽しさに収束しないのと同様に、文字の書き味を体験する手段も多様なのでしょう。

今こうして文章を書きながら、まだパソコンを操作できなかった子供の頃を思い出します。カチャカチャという音や、キーを押した時の軽い弾力と、指に返ってくる微かな振動の感触が楽しくて、なんとなく遊んでいた頃の記憶です。