デジタルな書き味
文字を打つリズム
会社帰りのバスではいつも、朦朧としながら文字を打っていたような気がします。カバンからペンとノートを取り出して文字を書くのはためらう場所でも、スマホがあれば、いつでも文字を打つことができます。あるいは、すぐにでも眠ってしまいそうで、フニャフニャ文字になりそうな時でも。アイドリングストップでエンジンが止まり、静まり返るバスの中でも、ペンを走らせる音が静けさを破る心配はありません。バスで集めた文章の断片から、後になって、続きを書き始めることがあるのかもしれません。
デスクの前に座ってノートパソコンを開き、キーボードで文章の続きを書くこともできます。あるいは、精度が上がってきた音声入力を使って、Siriに口述筆記をしてもらったり、AIに文字起こしを頼むこともできます。OCRを使って、私の読みにくい文字をAIに頑張ってデジタル化してもらうこともできますし、私の文章の続きをAIに書いてもらうこともできます。つまり、デジタルな文字の書き味は多様です。
いずれにせよ、過去の続きを後になって書くことができるのは、不思議な気もします。過去に文章を書いた自分と、今の自分は全く違うからです。バスの中でスマホで文字を打っていた自分と、デスクの前に座ってパソコンのキーボードで文字を打っている自分とでは、考えていることも感じていることも違います。関心を向けていることも、感情やコンディションも違っていて、そこには連続性がないように思えます。そうして断続的に書き溜めていった文章の断片が、同じ文書ファイルの中で混ざり合っていくのは、不思議な感覚がします。
デジタルな文字の書き味を考える時、文字を書くツールであるデバイスと、文章のデータとを、分けて考えることができます。例えば、スマホやパソコンといったデバイスは、文字を書く手段として機能し、一方でそこに保存するデータは、文章の内容そのものとして独立して存在しています。これはアナログな書き味とは異なります。アナログでは、ノートというデバイスとデータが同じ場所にあるからです。そして、デバイスとデータが分離されているからこそ、デジタルな書き味は、多様なデバイスによって多様な書き味を提供してくれます。デジタルな書き味の多様さは、紙とペンを選ぶ時の楽しさを、拡張してくれるのかもしれません。
意味のリズム
デスクに向かい、キーボードをタイプして文章を書くなら、ひらがなを漢字に変換しながら文章を進めます。「おかしいなぁ、正しい漢字に変換しないなぁ、精度悪いなぁ...」と思っている時は大抵、私の文章が間違っています。そうでない時もあるけどね。パソコンだけではなくスマホで文章を書いていても漢字変換はしますが、単語を途中まで打って表示される、予測変換を選択することが漢字変換を兼ねていそうです。パソコンとスマホの漢字変換の体験を比較してみても、文字の書き味は少し違いそうです。
文章を書くことは、言葉やイメージを浮かべていく、連想ゲームに似ています。そこまで自分が書いてきた文章を読み返して、単語や文章から連想されるイメージを膨らませながら、次の文章を書くこともあります。話のつながりがおかしくないか、リズムが崩れていないか、全体だったり前後を意識しながら、文章を書きます。この連想ゲームでは、自分が書いた文章を見るという視覚情報を使います。そうなると、予測変換や漢字変換は大事なもののように思えてきます。目に入ってくる文字が、連想ゲームのインプットになるからです。
もちろん、連想ゲームのインプットは視覚情報が全てではないでしょう。音声入力で画面を見ずに文字を打っている場合は、もちろん違います。あるいは、キーボードで文章を書いている時でも、書きたいことが頭の中にどんどん浮かんできて、あとはそれを明文化するだけであれば、視覚情報からの連想はそんなに大きな影響はないのかもしれません。いつもそんな風にスラスラ文章を書けたら良いのですが...
デジタルな文字の書き味を決める上で、ソフトウェアは重要な役割を果たしています。物理的な入力デバイスであるスマホやキーボードも、もちろん重要です。しかしハードウェアと同じくらい、ソフトウェアも文字の書き味を決める重要な要素です。日本語IME(スマホやパソコンで予測変換や漢字変換をしてくれるソフトウェア)は、デジタルな文字の書き味を作ります。例えば、macOSの日本語IMEには、漢字変換をリアルタイムにしていく機能があります。この機能では、人が文字を打っているそばからソフトウェアが自動で漢字変換します。そのため、書き手の目に入ってくる文章は、全て漢字変換された文章になります。もしも漢字という視覚情報が連想ゲームのピースになるなら、この機能もまた、そのソフトウェアならではの文字の書き味を作っています。
編集するリズム
スマホやパソコンでメモを書き溜めるようになると、増えていくノートの数に嬉しくなったりしますよね。自分自身の記録を集めていくことは、収集するような楽しさがあります。そして、ファイル数が増えていくと、だんだんノートアプリが遅くなっていって...バックアップをとってノートアプリから切り離したり...そんなことありませんか...?私はあります。
データを残しておくコストはどんどん下がっています。きっと、自分の一生分のノートのデータを持っておくこともできるでしょう。しかし、どうせならデータを持っておくだけじゃなくて、書きたかったことの続きを書きたいです。文字の断片が語りたかったことを最後まで語ってみたり、断片同士の関係性を整理してみたり。そして、たくさんの断片から1つの文章を作る時には、ソフトウェアがサポートしてくれます。ソフトウェアを使えば、本のように見出しや小見出しを整理し、文章同士の関係性を視覚的に整理できます。それは、1つの文章の中に、多様な自分の感覚や思考を整理することでもあります。
一方で、見出しや小見出しを整理するのは面倒です。文章の構造を最初に決めてから書き始めるわけでもないので、できれば手を動かしながらリズミカルに、文章全体の構造を段々とつくりだしていきたいものです。そして、ソフトウェアはこの課題を解決してくれます。例えば、Obsidianという文章作成ソフトでは、アウトラインを一覧表示しながら、見出しや小見出しをドラッグ&ドロップで並び替えることができます。まるでレゴブロックを組み立てるように、自由にいろいろ試しながら文章を組み立てます。そうして手を動かしながら文章を組みたてるという点で、ソフトウェアは編集するリズムを作ってくれます。
センテンスを書くことが連想ゲームなら、文章全体を編集することはレゴブロックを組み立てるような楽しさがあります。レゴのブロックを入れ替えて、イメージに近づけようとします。レゴのパーツはいま作ってもいいし、これから調査してもいいし、ノートを検索してみてもいいです。もしかしたら朦朧としながらバスで書いたメモが、検索にヒットするかもしれません。
おわりに
お気に入りの文字の書き味が紙とペンにあるように、お気に入りのソフトウェアにも独自の書き味があります。このWebサイトは、お気に入りのソフトウェア(Obsidian)で書いた文章を、なんやかんやと処理をして、Webサイトにそのまま記事として公開するシステムです。Obsidian自体にもWeb公開機能がありますが、せっかくならWebサイトをつくる楽しさを味わってみたいと思いました。これから少しずつ、楽しみながら機能を拡張していこうと思っています。Webサイトをつくっている時の、デザインやエンジニアリング、マネジメントの楽しさについても、また皆さんと共有できたら嬉しいです。